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Type O Negative / Bloody Kisses (1993)

USはNYのゴシック/ドゥームメタルバンドによる3rdフルレングスアルバム。
Roadrunner Recordsからのリリース。

Type O Negativeと言えば、この淫靡なジャケットや、喘ぎ声のイントロで始まるいと艶めかしき本作が、代表的なアルバムであると信じる。
Black Sabbathは言わずもがなであるが、ハードコアやDanzig期Misfitsからの影響も感じさせる、妖しいドゥームメタルであった1st2ndから、
潮流を見せ始めたゴシックメタルとの隔たりを取り払い、序章から淫蕩な面影を彷彿させてくる、この3rd。
突如として、甘美さと肉欲とが脳髄の奥で身を絡めあう、この3rdである。

ギターの音色が、じっとり湿り気を帯びたヘビィネスを発露し、
情事のあと、ふと窓辺へ差し込む光に目を向けると感じられる独特の空気感みたいなアコースティックパートを交えるなどしてエロスへの連想性を高めていく、
Danzigの男臭さに、Lou ReedのインテリジェンスやJim Morrisonの刺激的かつ享楽的なブルーズ感覚も集約した歌唱とも相まって、
全体を漂う官能的な情景の中へ、どことなく詩的な情感を落とし込んでいる。

また、重くなり過ぎて停滞し始めたら、ハードコアパンクのビート感が到来したり、
トラッドなムードが挟み込まれたり、密教的な香りが醸し出される。
そんな混然としたアンサンブルは、肉欲の触れ先が定まらない男の衝動性と、そこに孕んだペシミスティックな情緒、劣情を感じさせる筈だ。

曲名のChristian Womanは背徳性を醸し出しているし、赤子の鳴き声や、犯される女声、アルバム中に良く出てくるFireと言った単語もそういった性への感覚を植え付ける、
レミ・ド・グールモンの「毛」と言う詩のクライマックスも「お前は 火の匂いがする」と成る訳で、一般的に見て火がエロスへの寓意であることは間違いの無いことであろう。

そういった諸々のエロティシズムが醸し出す、性への臨界点を迎えたドゥームメタルが、歪みの誘い入れる淫蕩な幻想の世界と成りて、この3rdアルバムに収められているのだ。

正直、言わずもがな感のあるアルバムを紹介するのは気が引けるのだが、
私が何を紹介しようと、そこに創造性は希薄で、遍く音楽批評というのは、聴くまでは序説程度の効能しか齎し得ない。
また聴けば聴けばで、その音楽批評への批評が始まる。
つまりは、一切無理をしない、自分の欲求を満たすべき、自分の感性に則った行動こそが、明日の精神的安寧を確定し得ると言うこと、
もっと率直に言えば、自分の書きたいことを、書きたいときに書くと言うことが、明日の自分を救ってくれるのだろうと、そんな様な事を最近は思う次第。
義務感を持ってやれば仕事は捗るのだろうけど、趣味が仕事染みてきては、それは最早仕事であり、
仕事だけでは精神が壊れるので、人間は生ものなので、生ものは腐るので、腐れば糞尿以下のjひすあおhふぉいsdjなので、こういった趣味の世界は気ままにやっていこうと思う。ひっそりと。

時に、一般的な音楽の話で聴き手側の形而上学として、ボーカルやバンドメンバーが亡くなることによって、心に取り残されるアルバム、若しくはバンドと言うのがある。
このバンドのフロントマンであったPeter Steele氏が亡くなった際も同様で、一切の感情が瓦解し、その後再構築されるに感情の一部が縺れ綻んだまま取り残され、
そのまま胸に些かの空洞を感じながら、後の生涯を送ると言うような方が、当時の私の身の回りで続出していた。
これはネガティブで、さも迷惑みたいな表現だが、人間の精神構造上に於いて、ネガティブな事象と言うのは、往々にして後にポジティブな解釈へ生まれ変わるもの。
胸に些かの空洞を感じながら、後の生涯を送ると言ったような悲しみより、確実にポジティビティにイニシアチブを執られて行き、ホストを取り巻く出来事の一つ一つが一生の思い出みたいに、
ゆらゆらと精神の深い部分で揺蕩い、その人の心の中でずっと快活に生きて続けて行くと言うのが、最初の空洞からの感情の変遷を追って行き陽性に生まれ変わるといった意味合いでの、所謂な一般論であると存じますし、
このType O Negativeも、そういった感慨を基に、思い出として私の心の中で今も鳴り響いている。
恐らくはThe Velvet Undergroundも、The Doorsも、Iron Monkeyも、Anul Cuntも、Acid Bathも、Nirvanaも、Bathoryも、Dissectionも、Suicide Silenceも、Decapitatedも、Gwarも、Static-xも、Black Tuskも、
皆誰かしらの胸に、何かしらの情緒を落とし込んでいるに違いない。

考えていくと、人間と言うのはネガティブな世界に生き続けることが許されないのかもしれない、兎に角ポジティブなら正解みたいな阿保らしく御悧巧な感性に堕落したくはないものだが、
ネガティブに淫していても、何も始まりはせず生まれもしない、淫すればこちらもただ堕ちていくだけ、
人間の生存本能として許されるラインと許されないラインと言うものは決まっており、ネガティブに触れればプラスにより戻され、反対にポジティブに棹させばマイナスに引き寄せられる、それが人間の生物学的な精神の真理なのであろう。
そして、こうした規定概念があるからこそ、Andrew W.Kみたいな、ポジティブの塊のような音楽は奇才扱いされたりする訳で、極限的なものと言うのはいつの時代でも、一般には僅かな憧憬と共に蔑まれるものなのだ、
NSハードコアバンドが大多数なライブに出てきたCannibal Corpseのコピーバンドも、正にそんな感じであり、私ともう一人長髪の男だけが、楽しくヘッドバンキングして、他のものは音ではなく技術力云々で、驚嘆しながらもどこか蔑んだ表情を浮かべていた。

人と言うのは、取り巻く環境によって形成される精神性、もっとピントを合わせれば、今まで聴いてきた音楽によって養われた考え方、感じ方によって、相対的に他の音楽への感じ方が変わってくる、
これは一見当たり前のことに思えるが、インフレめいた現代のエクストリームミュージックを多く聴く方によっては、時として悲しい現実を突きつけることになりかねない、
音楽の極限を聴き進め聴き慣れてしまえば、やがてその歪への衝撃も薄れ、新しい情報は、脳内での簡易的な解釈が活かされた情報として、受け取られてしまう。
慣れた極限と言うのは、客観的な見方以外では、どうしてもあまり引っかからない普通な物と感じるようになってしまう。
新しい情報としての音楽と言うのは主観的に聴いて、いつまでも鮮烈な喜びを齎してはくれないのが、悲しくもあり、
そんな博識さと引き換えに、立場に甘んじ熱意が失われがちなリスナーによって、今や今後の音楽の型が形作られると言うのが、一方では、尤もらしくもありながら、虚しくもある。

メタルに於いて、間口の狭さを愛でた結果としての先鋭化に次ぐ先鋭化とも言える特有の文化は、客観的に見たメタルの歴史の中で、
重要な部分を取り除けば忘れ去られてしまい、直ぐに過去に成ってしまう今のアルバムは、更に印象が薄れ時代と共に消え去ってしまう、
行きつけのラーメン屋のいつもの味みたいな、個人的な感慨を持つ音像もあるのだが、全体での動きは違う、
ヘビィメタルと言うのは、そのサブジャンルの、最初と最新とそこまでの道のりの中でのターニングポイントと特異点だけが需要を持ち、資本としての扱いを受ける、
温故知新などと言うやけにイデオロギーめいた四文字熟語もあるが、こういった言葉も、この様な形而上学的背景が無いと、生まれるものではない。

これらの傾向に、今を生きる情熱的なそれぞれの知覚が相まうことで、時代は繰り返すのだろうか。
無論、これまでの経験上忘れ去られるべき時代の衆の中でも、別段愛されるバンド愛されるアルバムと言ったものもある、私はそういう音楽を紹介することが出来れば幸いです。

曲目は、

1. Machine Screw  00:40 
2. Christian Woman  08:58 
3. Black No. 1 (Little Miss Scare-All)  11:15
4. Fay Wray Come Out and Play  01:03 
5. Kill All the White People  03:24  
6. Summer Breeze (Seals and Crofts cover)  04:50  
7. Set Me on Fire  03:29
8. Dark Side of the Womb  00:28 
9. We Hate Everyone  06:51 
10. Bloody Kisses (A Death in the Family)  10:56
11. 3.0.I.F.  02:07
12. Too Late: Frozen  07:50
13. Blood and Fire  05:33 
14. Can't Lose You  06:09 

Total  01:13:33 

♯10はyoutubeにリンクしてあります。
今聴いてもやっぱり良いよね。